1999年9月21日 台湾集集地震 私達はその時・・・

台湾現地時間 AM 1時47分  
マグニチュード7.3〜7.7  
死者2246人 
負傷者8735人(10/3統計)  
 
     
<まえがき>

あの時、台湾に住む人、台湾で育った人、台湾が好きな人・・・台湾に関係する全ての人達が

恐怖と混乱に巻き込まれ、失われたものにむせび泣いた。

もちろん、世界中の人間が、トルコの地震に続きその悲惨な光景を痛ましく思ったのは言うまでも

ないでしょう。

そして金城武という一人の台湾で育ったスターを追い求めては、普段なに不自由なく過ごしている私達も、

この時は一気にパニック状態に陥った。 その時のことを思い出してみる。





それはちょうど、「心動」が日本より一足早く、香港と台湾で公開される時だったね。

20日、香港では「心動」記者会見、プレミア上映会の予定。 翌21日には台湾でも「心動」が

封切られるため、記者会見とイベントが行われる予定だった。



9月始めから「スペトラ」の撮影が始まっていた武ちゃんだったけど、この両日のために撮影を

中断し、20日、香港に向かった。

日本からも何十人ものファンが香港に行っていたよね。

あとで香港の新聞に、「金城武は日本のファンをいっぱい連れてきた!」と報道されてたよ。

現地に行けなかった私達は残念だったけど、20日運良くその日のうちに香港での記者会見と

プレミアの映像をネット上で見ることができたりして・・・・ 

ほんの数時間前の香港での武ちゃんを拝める喜び!  (ネットってスゴイね!)



そして明日は台湾でのイベント。  地もと台湾での「心動」公開イベントがどれほど盛り上がる

のか? 武ちゃんがどんな素敵な姿で現れるのか? すっごく楽しみで・・・ それをまた

すぐにネットで見られる幸せを心待ちにしながら、眠りに就いた私達だった。



そんな21日の未明、台湾では思いもよらぬ事が起こった!

私達は朝のTVニュースで、台湾にM7以上の大地震があった事を知った。

震源に近いといわれる台中の様子はなかなか入って来ず、TV映像は横倒しになった台北の

ホテルとその一帯の様子を映し出すばかりだった。

武ちゃんの大好きな故郷のこんな悲惨な姿を見せつけられ、私達は言葉を失った。



そして・・・なによりも・・・なによりも・・・ 武ちゃんの行方がわからない!

「もし、昨夜のうちに香港から台北に飛んでいたら・・・」 そう考えるともう何も手につかなかった。

一種のパニック状態になり、私達はただただ武ちゃんとその家族の無事を願う事で

精一杯だったね。   

今のようにオフィシャルのBBSなど無かったから・・各々のファンサイトBBSでは・・・
(注:オフィシャルのBBS ↑とは、2000年にクローズされて既にないけど、Cafe KaneshiroのBBSのこと。)

「武はどこにいるの?」 「武は・・武の家族は大丈夫なの?」 「武は・・・生きているの?」

一気にアクセスが集中する中、悲壮な叫び声をあげ、気が狂ったようなBBSになっていた。

TV放送で続々と報告される死亡者、負傷者の数を聞きながら、みんなでポロポロ泣いた。



武が帰ってくる! と心待ちにしていた台湾のファンは自分の身に起きた天災の事実を

すぐに認識する事ができたのだろうか?

台湾へ行くはずだった武迷ももちろん足止めをくらった。  全ては麻痺状態。

便利なインターネットも、こんな重要な時、回線異常で台湾サイトには接続不可能。。。

台湾TVParkの武ちゃんのHPにアクセスしてみても全く繋がらない様子に涙が止まらなかった。
(注: TVParkの武ちゃんのHPとは、99年当時、台湾の年代系列TVParkが運営していた金城武のサイト。)

アミューズさんのページに 「金城武は無事です」 と報告があるまで、

全ての武迷は成す術がなかった。



「心動」の公開に胸ときめかせ、はつらつとした武ちゃんが見られるどころか、

代わりに無惨な台湾の様子を見なくてはならなくなってしまった。

武ちゃんとその家族の無事を祈りながら、何故台湾で・・・という心痛。。。

せめてもの気持ちで台湾救援金に協力する事くらいしかできない私達のもどかしさ。。

美しい台湾の変わり果てた姿。。。  

この時、それを見た者にとっては、一生忘れられないことになると思う。



数日してからわかった事だけど、武は20日は香港のホテルに泊まっていたので地震に直面

してはいなかったんだね。  21日未明の台湾地震の事を聞き、午前便で台北に向かい、

家族の無事を確認したとのこと。

香港のプレミアのあと、香港商業電台の「唱遊大世界」に出演していて、
この番組は7時〜11時までというものだったので台湾に飛ぶのを翌日にしたのかもしれない。

台湾の家族のもとに駆けつけ、無事を確認し、ほんの僅かな時間だけ家族と過ごし、

翌日にはすぐ日本に戻ったそうだ。

もちろん台湾での「心動」公開イベントは中止になった事もあるが、

日本では撮影中の「スペトラ」が待っている。。。。  そうするしかなかった。

台湾を後にする飛行機の中での武ちゃんの心中を語ったものがあったけど・・・・

確かこんなような事を言っていたと思う。



「離陸する飛行機の窓の下に、まだあちこち煙のたつ痛々しい台湾の様子が見える。

 その中には苦しんでいる人達、救助に必死になる人達の姿もみえて・・・

 今こんなに大変な台湾を後にして、自分はこんなんでいいんだろうか?

 でも・・・僕は逃げているわけじゃないんだ。

 と涙をぐっと噛みしめる自分がそこにいた。 日本では仕事が待っている。仕方ないんだ。」





日本でも神戸の地震などを経験している武迷は、台湾地震にも一層の心痛で、落ち着くまでに

しばらく時間がかかったね。 

私も武ちゃんを通してできた台湾のお友達に連絡がつくまで10日以上も、心穏やかではいら

れなかった。

私が台湾地震にこんなに悲痛な思いをしたのも、金城武と台湾が切っても切れないもの

だから・・・  武を知らなかったら、台湾地震も人ごとのようにとらえていたかもしれない。。



地震から一ヶ月後の10月21日

台湾のチャリティーコンサート ”回家晩会” に出席する為、台湾に戻った武ちゃんは、



「僕は、歌も歌わないから何をしたらいいのかわからないけど、とにかく帰ってきたよ!

 台湾のみんなにやっと何かができると思って・・・

 地震があってから、いつも台湾の事を思って気になっていたんだ。

 何かしなくちゃって思っていたんだけど、仕事があって。。。

 こういう事って時間が経つとすぐに忘れられがちだけど、忘れちゃいけない事だし・・・

 でも、僕たちには未来があるから、前向きに希望を持とうよ! こんな素敵な台湾だからね。」



こんなような事を言っていた記憶が私にはある・・・ 

資料を全てとってあるわけではないので、間違いや補足などあったら

みんなも色々と教えてくださいね。

そう、台湾の人々、武にとって、そして武迷の私達にっても決して忘れられない

台湾の地震。。。  また最近でも台湾では死者のでる地震があった。

天災だから誰にどうする事もできないけれど・・・・ それはとても悲しい事だけど・・

せめて、ささやかな愛の気持ちを忘れないでいたいと思う。



台湾の何処かの新聞記者が書いていた言葉。

「金城武はアジアの架け橋。 台湾と日本を繋ぐ彼の存在は単なるスターの姿ではないのだ!」